写真的曖昧

2018年2月3日(土)-3月4日(日) | 10:00-18:00 | 水曜休館/入場料無料
金沢美術工芸大学・
北國銀行連携事業
第8回 コーポレートアート展
  • 石場文子
  • 木原結花
  • 西郷北濤
  • 宮崎竜成
  • ISHIBA Ayako
  • KIHARA Yuika
  • SAIGO Hokuto
  • MIYAZAKI Ryusei
石場文子《2と3のあいだ(わたしの机とその周辺)》
2017年 728 × 1030 mm インクジェットプリント
  • 主催 金沢美術工芸大学、北國銀行
  • 協力 認定NPO法人金沢アートグミ
  • 企画 若山満大

イベント

  • 2.3 Sat 17:00-19:00
  • Opening / Gallery Talk
  • 登壇者:木原結花、宮崎竜成、若山満大
  • ギャラリートークの後、四井雄大による南インド料理が振る舞われます。
  • 2.10 Sat 18:00-19:30
  • Lecture
  • 趣味と戦争の写真史:クロニクル・日本のアマチュア写真1913-1945
  • 登壇者:若山満大(本展キュレーター)
  • 参加費:1000円
  • 大正から昭和にかけて、市井の写真文化はどのように変化したのか。アマチュアの趣味から報国の手段へ。写真の変位にまつわる社会史をご紹介します。
  • 2.24 Sat 18:00-19:30
  • Curatorial Conversation
  • キュレーターの曖昧な自己
  • 登壇者:長谷川新×若山満大
  • 参加費:1000円
  • インディペンデントキュレーターの長谷川さんと「展覧会」について話します。それぞれの実践をふりかえりながら、社会を巻き込む/社会に巻き込まれる技法について考えます。

アクセス

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目次

Contents0

  1. 1.写真的曖昧とはなにかOutline
  2. 2.この展覧会をもっとよく理解したい人へGuide Movie
  3. 3.もう少し考えてみたい人へCurator’s Text
  4. 4.参加アーティストについてArtists and Works
  5. 5.出展作品Venue Plan and List of Works
  6. 6.支えてくれた人たちへThanks

写真的曖昧とはなにか

Outline1

技術としての曖昧さ

本展は100年前を生きた鳥取県のアマチュア写真家・西郷北濤と、平成生まれの若手アーティスト3名による展覧会である。

かつて日本には「芸術写真」という文化があった。明治中期から昭和初期にかけて消長したある種の理念が、黎明期の写真雑誌によって全国に波及。賛同するアマチュア写真家で構成されたコミュニティを生み出した。

芸術写真は、その深化のなかで「写真が個人の内面を表現できること」を発見した。写真によって感動を表現すること。情動を写し留めること。写真はそれまでの領分、つまり単なる即物的な記録という役割を超えて、絵画や彫刻の領分を侵した。言い換えれば、このとき写真は、撮影者の内面という「写らないもの」を伝えうるメディアとしてアップデートされる。決して写らないものを写真にする。この逆説を可能にするために導入された「技術」こそ、曖昧さだった。

形なきものを写真するために

まるで絵画のように淡く叙情的な芸術写真の様式は、ともすると不鮮明で、歪曲した、非現実的な画像であるとも言える。芸術写真が爛熟と膠着を迎える1930年代初頭、おりしも台頭した新しいタイプの写真家たちは、鮮明かつ正確に現実に捉えることこそ写真の本質であると主張した。ここにおいて対極をなす芸術写真は、その価値をことごとく否定され、写真表現としての先鋭さを失っていった。

本展は、この歴史的事実からスタートする。

写真のように曖昧であること。芸術写真という営みから100年後を生きる私たちは、写真が常に曖昧であることを知っている。形なきものを写し込む技術としての曖昧さは、100年前にすでに開発されている。西郷らの営みに、現代の作家が応答する。形なきものをいかに「写真」するかという問いに対して、応答する。

彼らはそれぞれのしかたで、形なきものを写真する技術=写真的曖昧をアップデートしようと試みる。写真でありながら非写真的、非写真でありながら写真的。結像しない二重像。曖昧なイメージに潜勢するものをよく・見るために、私たちは展覧会というしかたを採用する。

  • 目次Contents
  • この展覧会をもっとよく理解したい人へGuide Movie

この展覧会をもっとよく理解したい人へ

Guide Movie2

  • 写真的曖昧とはなにかOutline
  • もう少し考えてみたい人へCurator’s Text

もう少し考えてみたい人へ

Curator’s Text3

曖昧、不全、断章についての覚書

若山満大 WAKAYAMA Mitsuhiro

本展キュレーター

「アマチュア写真家」という言葉の射程は広い。字義通り捉えれば、写真を生業にしない写真家、趣味で写真を撮る愛好家という意味になるだろう。日本写真史研究において、この語は主に1880年代後半から1940年代の歴史叙述で使用されることが多い。ここにおいて「アマチュア写真家」という語は、写真館を経営する写真師や1920年代に登場する商業写真家とは区別された、「その他大勢」の写真家を包摂する概念である。さらに、その中にも区分けが存在する。当時の写真雑誌などにおいて一定の発言力を持ち、すでに定評を得ていた特殊なアマチュア写真家がいた。これを、本稿ではひとまず「アヴァンギャルド」と呼ぶことにする。現在、1880年代後半から1940年代を対象にした日本写真史研究の慣例においては、「アマチュア写真家」という語の運用において「アヴァンギャルド/非アヴァンギャルド」を明確には区別していない。しかし、当該の写真史に登録された「写真家」たちは、事実上おしなべてアヴァンギャルドである。あるいは、登録されることによって、遂行的にアヴァンギャルドと同等に処遇される場合もある。つまり、任意の写真家が写真表現(様式)の歴史において「重要」な存在と判断された場合である。

日本写真史において、数多のアマチュア写真家の営為は不可避的に捨象されざるをえない。歴史叙述において必然的に働く選択=淘汰の力学によって、非アヴァンギャルドの営みは歴史には登録されることはない(登録された瞬間、否定の接頭辞は取られる)。むろん筆者はここにおいて、写真史研究の欺瞞や手落ちを告発したいのではない。そうではなく、ある問いを提起したい。写真史がアヴァンギャルドの系譜であるならば、そこから必然的に捨象されざるを得ない数多の非アヴァンギャルドの営みを、私たちはどう処遇すべきであろうか。ある写真家の営みを「新奇性」以外の価値軸を以って捉えることは可能だろうか。本展は、そのような問いに対する暫定的な答えとしてある。

共同と郷土――西郷北濤、あるいはアマチュア写真団体について

西郷北濤(本名・金居乙恵)は、非アヴァンギャルドとしてのアマチュア写真家である。彼は1885(明治18)年、鳥取県鳥取市に生まれた。1905(明治38)年、近衛歩兵第二連隊に入営。除隊後、写真師の山県長太郎に師事して写真術を習得する。1909(明治42)年、鳥取市本町に写真材料商・金居商店を創業。1913年6月より鳥取市内のアマチュア写真家を組織して撮影会を開催するようになる。これを発展させるかたちで、1919(大正8)年、アマチュア写真団体「光影倶楽部」を結成。同会は1925(大正14)年まで機関紙『光影』を発行、西郷(金居商店)はその発行元となった。1950(昭和25)年没、享年65歳。

光影倶楽部のようなアマチュア写真団体の増加は、1920年前後の全国的な動向であった。彼らはピクトリアリズム(絵画主義写真)の理念を内面化、拡大再生産していった。しかし、それは創作意欲だけに支えられたものではない。地縁=社会における関係性の構築と維持においても、彼らの行為は一定の意味を持つ。つまり、地元の名士や旦那衆、サラリーマンや教師といった新中間層で構成されたアマチュア写真団体は、それ自体が社交の場として機能していた。また、新中間層=伝統的共同体から切り離されて都市部で労働する個人にとって、団体への帰属は地縁を補強する一手段たりえた。

西郷が遺した写真《初冬の漁家》と《不詳(砂丘とラクダ)》は、20世紀初頭の鳥取県内の風景を題材にしている。前者は近代化によって後に消滅していく風景としてあり、逆に後者は近代化(ツーリズム)が可能にする「砂丘の名物化」の断章としてある。図らずも写真に撮ることによって比較可能になった2つの「郷土」。ここにおいて郷土は多面体として立ち現れる。あるいは西郷らの営み、地方におけるアマチュア写真家の営みは、それ自体が郷土という近代的な概念に「実態」を与える手続きであったのかもしれない。写真によって事後的に理解される郷土に、地縁の強化がリアリティを与えていく。

西郷の営みを展覧会の「暴力」に晒してみたい。本展は「時代精神」や「歴史叙述の確からしさ」を確認する場ではありえない。ただ彼の営みが、否応無しに現代と接続する場である。しかし、西郷の存在もまた「現代-美術-展覧会」を撹乱する。依拠すべき価値軸の曖昧化。価値軸の探索の端緒として、西郷は本展に召喚されている。

あなたと彼のあいだ――石場文子について

被写体の表面に、水性ペンで一本の黒い線を描く。石場文子の作品は、たっとひとつのシンプルな操作を施した写真である。線を描かれた被写体は、背景から引き剥がされ、浮かび上がるようにして私たちの前に現れる。空間としての後景層から、表面としての前景層へ。3次元から2次元に向けて、黒い輪郭を帯びた被写体はゆっくりと移動してくる。作品のタイトルになっている「2と3のあいだ」「2.5」という語は、このような視覚的効果への言及であろう。

話は少し飛躍するが、「2と3のあいだ」を次元の話ではなく、人称の話として読み替えてみたい。「彼」の名前を知ったとき、関係が親密になるということがある。それまで風景に同化していた人影に固有名詞があることを知った瞬間、彼は風景から切り離されて「あなた」になる。ある人影を指示する人称代名詞が、三人称から二人称になり、公共圏から親密圏に移動してくる。石場の写真は、任意の物象を唐突にこちらの親密圏に送り込んでくる。輪郭によって強調された物象は、風景から突如として切り離され、「名指せるもの」として私たちの前に現れる(洗面台という風景の中で、「ハンドソープを入れるポリタンク」を名指すことがあるだろうか)。輪郭線はある物象を名指すことを促し、私たちとの物象の距離を縮める。石場が被写体に施した物理的操作は、私と物、主客の精神的距離を操作する。「彼(か)」の物象は、不意に親密な「あなた」になる。

石場はこれまで、日本画から版画、そして写真へとメディウムを変えながら制作を続けてきた。しかし、画の後景層=イリュージョンの中に唐突に挿入された平面的な図像へのフェティシズムは一貫している。例えば浮世絵において、着物の文様だけが不自然にこちらに正対していることがある。3次元(だと信じられている)世界に挿入された、場違いな2次元的表現に彼女は「親密さ」を覚えてしまった。彼女は写真というメディアを用いたときも同様に、任意の物象を2次元/親密圏に召喚しようと試みる。被写体に直接輪郭線を描くという行為は、そのために彼女が開発した技術なのである。

贈与としての写真――木原結花について

行旅死亡人と呼ばれる、身元不明の遺体。木原結花は、遺体について書かれた文字情報から、その生前の姿を想像し、コラージュ写真を作り出す。行旅死亡人は、1899(明治32)年3月28日付で公布された「行旅病人及行旅死亡人取扱法」において、次のように定義されている。「行旅死亡人ト称スルハ行旅中死亡シ引取者ナキ者ヲ謂フ」(第1条第1項)、「住所、居所若ハ氏名知レス且引取者ナキ死亡人ハ行旅死亡人ト見做ス」(第1条第2項)。また行旅とは、この場合「道を行くこと」に等しい(必ずしも旅の最中とは限らない)。この定義に該当する遺体の情報は、官報等によって公告される。「推定55歳位の男性、身長164センチメートル位、ヤセ型、着衣ジャンパー、ヨットパーカー、長袖下着2枚、半袖下着2枚、パンツ1枚、所持金なし」。この無機質な行政文書から、私たちは遺体の生前の姿を推し量るほかない。

木原は、行旅死亡人の容姿に具体的な形を与える。生活のなかに氾濫する画像を、彼女は細切れに裁断する。そして、その「眉」「ブラウス」「鼻」「髪型」「スニーカー」を文書の通りに貼り合わせていく。この人像(ひとがた)が何者かの肖像写真であることを担保するのは、かの無機質な行政文書だけである。この人像に対応する「現実=一個の身体」は存在しない。また死亡者の肖像であるということも加味すれば、木原のコラージュ写真は非在と不在を同時に証明しているとも言える。

本展に際して、木原は新たに8点のサイアノタイプを制作した。彼女は遺体が見つかった現場に赴き、コラージュした等身大のネガフィルムを印画紙に重ねて密着露光する。現場での水洗現像を経て、プリントは出来上がる。しかし画像よりも気になるのは、プリントの皺や破れ、不自然に白く抜けた部分である。水洗後の湿ったプリントは、現場に吹く風の煽りを受けてぐしゃぐしゃになり、撮影現場(遺体が見つかった現場)が日陰ならば、プリントのコントラストは下がり、ときに露光すらできない。つまり、彼女のプリントは遺体が見つかった現場の環境を、本来的な撮影とは別の方法で「記録」しているのである。あるいはその記録は、通常の写真よりも迫真的な何かを捉えてすらいる。況やその環境(=物理的な刺激)は、当の行旅死亡人が最期に感じていたはずのものだからである。

なぜこのような写真を撮るのかと問うと、彼女は幼少期の「ホームレスのおじさん」との交流について語ってくれた。ある日突然「見えなくなってしまった」ホームレスのおじさん。社会の周縁に霧散してしまった影を、彼女は写真によって捉えようとする。同時に彼女の行為は、見えなくなってしまった者へ連絡を試みているようにも思える。しかしその宛先は、自ら仮構するほかないのである。写真は形象を写すものであるが、彼女の写真は形象を与えるためにある。

写真、反転した絵画――宮崎竜成について

「写真にコンプレックスがあるんです」と宮崎は言った。まるで近代絵画の内面を代弁したようにも思えるその言葉が、彼の制作を駆動している。写真という写実装置が出現したのち、絵画は超現実あるいは抽象という沃野を目指した。近代絵画の歴史は、ともすると写真に追われ続けた絵画の事跡であり、写真には不可能な表現を模索した人々の系譜だと言えなくもない。そのような仮設的系譜の末端に、宮崎の営みを位置づけてみる。

宮崎は、作画資料として写真を使う。例えば古くは写真家・岡本東洋の『花鳥写真図鑑』(平凡社、1930年)が多くの日本画家の作画資料として用いられたように、画家が制作に写真を用いることは現在に至るまで全く珍しいことではない。画家は写真に写っているものを参考に描画し、構図を決めていく。しかし宮崎は、写っているものを描かない。彼は「写真に写っていないもの」を注意深く選択して、キャンバスや紙の上に現わしていく。常に写真の外部を想像するなかで、写真には成し得ない画面を獲得する。宮崎は作画資料の撮影機材として、iPhone 7を使う。内蔵されたカメラと標準搭載されたアプリケーションは、やや平面的で、細部過剰な写真を作り出す。私たちはその中で事物を分節して、経験値を動員しつつ、風景としての立体感を仮想する。つまり、物の形や名前を読み出して、地と図を区別する。写真との共犯的な関係が、写真(の中に経験した通りの現実)を見るという行為を可能にしている。しかし宮崎の絵画は、写真と同じしかたで見ることを許さない。図はときに分節し難いレベルにまで溶解していて、もはや地と等価の関係を結んでいる。宮崎自身の手跡、ストロークが画面のどこにおいても等価に立ち上がってくるという意味において、その画面は均質的である。写真の細部過剰性とは別のしかたで獲得したオールオーバーネス。大胆に画面を分割する色彩だけが、溶け切ろうとする何ものかを、かろうじて事物として認識させてくれる。しかしその解像度の低さも、宮崎によってあらかじめ設定されていることは思い出されてよい。人間の認知限界を考慮した綿密な色の配置は、その絵が「風景」であることを担保する。逆に写真は、その生成過程において人間の生理を考慮しない。ゆえに写真は、過剰に写し取ってしまう。宮崎は写真の生理(構造)をも感受して、鋭く批評的な手つきで絵画を構築する。写真にはできないことをするという意味において、彼の絵画は「写真のコンプレックス」であり、写真それ自体の「ネガティブ」でもありうる。

不全の現前――アーカイブについて

本展は、「Webサイトをカタログ化する」という手段で、展覧会のアーカイブを試みた。これによって、紙のカタログでは不可能な「動画と音声の記録」が実現した。本展ウェブカタログ上において「ガイドムービー」として実装したものがこれに当たる。動画は実際の鑑賞導線に沿って展開し、静止画(インスタレーションビュー)では困難な「会場の立体的な把握」を補助する。また、動画の音声は会場で使用可能な「解説/音声ガイド」として機能する。通常の展覧会のように紙カタログを用いた場合、音声ガイドは基本的にアーカイブの対象にはならない。こうした、これまで記録されえなかった展覧会の情報を包摂することを念頭に、本展のアーカイブのフォーマットは設計されている。

ウェブカタログという仕様によって、従来の紙カタログに比べて、情報の集約性およびアクセシビリティが向上した。ただしこれは、アーカイブの永続性とトレードオフの関係にある。つまり、何らかの理由でサーバーやドメインへの課金が中止された場合、本展のアーカイブは利用できなくなる。また、ウェブのブラウジングシステムに依拠しているため、仕様変更の如何によっては利用できなくなる。しかし不全のアーカイブであったとしても、その柔軟性/可能性について確認していくことは必要であろう。展覧会は、アーカイブ/歴史の不全を補完するもの、あるいはこれらのオルタナティブを仮設するための実験装置になりうる。本展は、そうした可能性の一端を現実化する試みとしてある。

  • この展覧会をもっとよく理解したい人へGuide Movie
  • 参加アーティストについてArtists and Works

参加アーティストについて

Artists and Works4

石場文子

ISHIBA Ayako

1991年兵庫県生まれ。愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画・版画領域修了(2016年)。主な個展として「2.5」(2017年、KUNST ARZT、京都市)、「しかく-Square/Sight/Blind spot-」(2015年、KUNST ARZT)、「house」(2013年、KUNST ARZT)などがある。主なグループ展として「アワーモデルルーム」(2017年、愛知県立芸術大学サテライトギャラリー、名古屋市)、「見えないものをみる力」(2016年、市民ギャラリー矢田、名古屋市)などがある。

2と3のあいだ(わたしの机とその周辺)
 2017年 728×1030 mm インクジェットプリント

輪郭2.5(知らないお客さん)
 2016年 288×379 mm インクジェットプリント

輪郭2.5(ふみちゃん)
 2018年 288×379 mm インクジェットプリント

輪郭2.5(まーくんとさっちゃんとまま)
 2018年 288×379 mm インクジェットプリント

輪郭2.5(わたし)
 2018年 288×379 mm インクジェットプリント

2と3のあいだ(ベッド)
 2018年 530×713 mm インクジェットプリント

2と3のあいだ(洗面台)
 2017年 1030×728 mm インクジェットプリント

木原結花

KIHARA Yuika

1995年大阪府生まれ。大阪芸術大学大学院芸術研究科前期課程在籍。主なグループ展に「A-Lab Artist Gate 2017」(2017年、A-Lab、尼崎市)、「1_wall」(2016年、ガーディアンガーデン、東京)。第15回「1_wall」ファイナリスト。

行旅死亡人
 2016年 サイズ可変 コピー用紙/着色・コラージュ

大阪市港区石田2丁目3番27号安治川左岸三菱倉庫安治川営業所付近
 2017年 1800×500 mm サイアノタイプ

兵庫県姫路市飾磨新西防波堤灯台付近
 2017年 1800×500 mm サイアノタイプ

兵庫県姫路市飾磨新西防波堤灯台付近(部分)
 2017年 1800×500 mm サイアノタイプ

大阪府堺市築港浜寺町1番地ゼネナル石油株式会社堺製油所東側岸壁付近(部分)
 2017年 1800×500 mm サイアノタイプ

大阪府平野区長吉川辺3丁目1番新明治橋下空地(部分)
 2017年 1800×500 mm サイアノタイプ

西郷北濤

SAIGO Hokuto

1885(明治18)年鳥取市生まれ。本名・金居乙恵。1905(明治38)年近衛歩兵第二連隊に入営。除隊後、山県長太郎に師事して写真術を習得する。1909(明治42)年鳥取市本町に写真材料商・金居商店を創業。1913年6月より鳥取市内のアマチュア写真家を組織して撮影会を開催する。1919(大正8)年に鳥取県下初のアマチュア写真団体「光影倶楽部」を結成。1925(大正14)年まで機関紙『光影』を発行する。

不詳(富士山)
 1925年か 217×582 サイアノタイプ

不詳(シカ)
 制作年不詳 425×280 mm ゼラチンシルバープリント

Virgin Soil
 1925年 395×540 mm ゼラチンシルバープリント

不詳(マツタケ)
 制作年不詳 211×302 mm ゼラチンシルバープリント

不詳(奈良)
 制作年不詳 211×287 mm ゼラチンシルバープリント

不詳(砂丘とラクダ)
 制作年不詳 210×302 mm ゼラチンシルバープリント

初冬の漁家
 制作年不詳 192×270 mm ゼラチンシルバープリント

不詳(山水)
 制作年不詳 375×265 mm ゼラチンシルバープリント

宮崎竜成

MIYAZAKI Ryusei

1996年京都府生まれ。金沢美術工芸大学美術科油画専攻在籍。個展として「僕の知っている、知らない場所。」(2017年、ルンパルンパ、石川県野々市市)。主なグループ展として「FACE展 2017」(2017年、損保ジャパン日本興亜美術館、東京)、「まだ帰りたくない」(2016年、ギャラリー知、京都市)、「シェル美術賞展 2015」(2015年、国立新美術館、東京)などがある。「FACE展 2017」入選、「シェル美術賞2015」入選。

楽しく無いの
 2018年 220×275 mm 紙/透明水彩

夏を纏った倦怠感
 2018年 220×275 mm 紙/透明水彩

イルミネーションと群衆
 2018年 220×275 mm 紙/透明水彩

ハリボテの龍に乗る少年
 2018年 220×275 mm 紙/透明水彩

そろそろ行くよ
 2018年 220×275 mm 紙/透明水彩

等身大で、かつ不安定な場所。
 2017年 1940×1620 mm キャンバス/油彩

静かな風の通る場所。
 2017年 1940×1620 mm キャンバス/油彩

静かな風の通る場所。(部分)
 2017年 1940×1620 mm キャンバス/油彩

  • もう少し考えてみたい人へCurator’s Text
  • 出展作品Venue Plan and List of Works

出展作品

Venue Plan and List of Works5

map

石場文子

  1. 1-12と3のあいだ(わたしの机とその周辺)2017年 728×1030 mm インクジェットプリント
  2. 1-2輪郭2.5(知らないお客さん)2016年 288×379(mm) インクジェットプリント
  3. 1-3輪郭2.5(ふみちゃん)2018年 288×379(mm) インクジェットプリント
  4. 1-4輪郭2.5(まーくんとさっちゃんとまま)2016年 288×379 mm インクジェットプリント
  5. 1-5輪郭2.5(わたし)2018年 288×379(mm) インクジェットプリント
  6. 1-62と3のあいだ(ベッド)2018年 545×713 mm インクジェットプリント
  7. 1-72と3のあいだ(洗面台)2017年 1030×728 mm インクジェットプリント

木原結花

  1. 2-1大阪市港区石田2丁目3番27号安治川左岸三菱倉庫安治川営業所付近2017年 1800×500 mm サイアノタイプ
  2. 2-2大阪府堺市築港浜寺町1番地ゼネナル石油株式会社堺製油所東側岸壁付近2017年 1800×500 mm サイアノタイプ
  3. 2-3兵庫県姫路市飾磨新西防波堤灯台付近2017年 1800×500 mm サイアノタイプ
  4. 2-4兵庫県姫路市飾磨区細江962番地浜手緑地公園南雑木林内2017年 1800×500 mm サイアノタイプ
  5. 2-5大阪府高槻市上土室3丁目上之池公園2017年 1800×500 mm サイアノタイプ
  6. 2-6大阪府岸和田市小松里町の空地2017年 1800×500 mm サイアノタイプ
  7. 2-7大阪府平野区長吉川辺3丁目1番新明治橋下空地2017年 1800×500 mm サイアノタイプ
  8. 2-8大阪市淀川区十八条2-18-339株式会社オーバス三国店駐車場北側神崎川付近2017年 1800×500 mm サイアノタイプ
  9. 2-9行旅死亡人2016年 サイズ可変 コピー用紙/着色・コラージュ

西郷北濤

  1. 3-1不詳(富士山)1925年か 217×582 mm サイアノタイプ
  2. 3-2不詳(シカ)制作年不詳 425×280 mm ゼラチンシルバープリント
  3. 3-3Virgin Soil1925年 395×540 mm ゼラチンシルバープリント
  4. 3-4不詳(マツタケ)制作年不詳 211×302 mm ゼラチンシルバープリント
  5. 3-5不詳(奈良)制作年不詳 211×287 mm ゼラチンシルバープリント
  6. 3-6不詳(砂丘とラクダ)制作年不詳 210×302 mm ゼラチンシルバープリント
  7. 3-7初冬の漁家制作年不詳 192×270 mm ゼラチンシルバープリント
  8. 3-8不詳(山水)制作年不詳 375×265 mm ゼラチンシルバープリント

宮崎竜成

  1. 4-1楽しく無いの2018年 220×275 mm 紙/透明水彩
  2. 4-2夏を纏った倦怠感2018年 220×275 mm 紙/透明水彩
  3. 4-3イルミネーションと群衆2018年 220×275 mm 紙/透明水彩
  4. 4-4ハリボテの龍に乗る少年2018年 220×275 mm 紙/透明水彩
  5. 4-5そろそろ行くよ2018年 220×275 mm 紙/透明水彩
  6. 4-6等身大で、かつ不安定な場所。2017年 1940×1620 mm キャンバス/油彩
  7. 4-7静かな風の通る場所。2017年 1940×1620 mm キャンバス/油彩
  • 参加アーティストについてArtists and Works
  • 支えてくれた人たちへThanks

支えてくれた人たちへ

Thanks6

本展は北國銀行ならびに金沢美術工芸大学の連携・共催事業の一環として採択されたものです。本展へのご理解をいただくとともに、各機関より助成を賜りました。西郷北濤氏の作品出展にあたっては、株式会社金居商店社長・金居隆司氏ならびに金居恵理子氏に格別のご協力とご厚志をいただきました。また、本展の運営にあたっては認定NPO法人金沢アートグミ理事長・真鍋淳朗氏をはじめ、スタッフの上田陽子氏ならびに金谷亜祐美氏には多大なご協力を賜りました。深く御礼申し上げます。本展は、上記の方々のほか多くの皆様のご協力によって開催に至りました。以下にそのご芳名を記して御礼申し上げます。

  • 石森良隆
  • 打林俊
  • 奥祐司
  • 小倉一郎
  • 矩一浩
  • 熊谷篤史
  • 小森隆文
  • 四井雄大
  • 竹氏倫子
  • 辻本麻耶
  • 長谷川新
  • 𡈽方大
  • (五十音順、敬称略)

写真的曖昧
Web Catalogue

2018年2月16日

デザイン/エンジニアリング
熊谷篤史KUMAGAI Atsushi
写真撮影/動画撮影・編集
奥祐司OKU Yuji
ガイドムービーBGM「Blue Print」 作曲・制作
辻本麻耶TSUJIMOTO Maya
企画/編集
若山満大WAKAYAMA Mitsuhiro

©︎ 写真的曖昧

石場文子

木原結花

西郷北濤

宮崎竜成